別れ 浜田さんさようなら
小学校1年の時に担任をしてくれた下村先生が93というご高齢のために、娘さんのいる鹿児島へ行ってしまった。
先に逝った同級生も先生のことを慕ってたなぁ。
先生の連絡先を知ろうと、いろいろ考える。
ヤッスー君に電話番号を聞こうかと考えた。
担任を受け持ってもらったのは、俺らが最初の年でヤッスー君が最後の年だったはず。
ヤッスー君は見送りの挨拶に行ったって言ってたなぁ。
しかし、俺が電話して、非通知の発信を受け取ってくれるだろうか?
そうだ、下村先生は文芸西之表の常連だ。
編集している和田さんなら知ってるかもしれない。
そうだそうだ、和田さんに聞こう。
デイケアに行くと、まず検温、浜田さんに体重測定に呼ばれる。
和田さんを探すが見つからない。
和田さん今日はお休みですか?
今日はお休みです。
和田さんって文芸西之表の編集されてますよね?
してますね。
一年生の時の担任の先生がよく投稿してるんですけど、住所わかりませんかね?
もしよかったら、和田さんの電話番号教えていただきたいんですけど。
ちょっと考えて、病院の情報は他に漏らすことはできません。
市役所か職場に聞かれては。
その際、私は市政の窓をもらえなくなりましてと聞こえた。
部落を抜けたってことですか?
プリントを差し出す。
そこには浜田さんの退職が書かれてあった。
辞めちゃうの?
浜田さんは、俺が休みがちなころ、俳句をブログで見て和田さんに渡してくれた人だ。
塩浦さんに付きっきりで俳句を考えていた。
非常にまじめで、子供にするんだったら、大谷翔平の次だなと考えていた。
凍て星を
背負いし我は
歩を進め
って俺の俳句をほめちぎってくれたなぁ。
村上さんの時も最後は会えなかったな。
村上さんとは、バスに置いてきぼりにされた時、迎えに来てくれて、車中で随分話したなぁ。
あの置いてけぼり事件は神様の贈り物だったかもなぁ・・・。